これまでやりたいと思っていたことの1つを、2024年の1月に遂に達成。
やっと、台湾へ!

▽松山空港のオブジェ。松山空港は上空からの撮影禁止。なぜだろう・・・?
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東アジアを知り、語るうえでは絶対に外せない土地、台湾。
高校生の時、ワシントンの語学学校で一緒だった仲良しKateは、台湾からだった。
大学生へ進学しても行きそびれ、大学院でも韓国・中国を回ることに忙しく、
社会人になり日常が矢のように過ぎていく中で、コロナ。

会社の出張でやっと行けると思いきやそれも場所が変更になり、
「今行かないとだめだ!!」
と思ったので、腹を決めて自腹で、Wake Up Japanの有志メンバーと、
現地で合流してくれたグロービスの台湾人同僚2名、その他様々な素晴らしい場所・方に、
3日間でお会いしてきた。

ここでは特に、慰安婦博物館と、三日間で出会った人々の声を、共有したい。
(書けたら、別途他の訪問についても書こうとは思っているけれど・・・)

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台湾トリップ概要
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今回のメインは、日帝時代との関連から、台湾社会を知ること。
台湾は79年前まで、50年間日本の植民地として統治されていた。

そんな歴史を抱えながら、対日感情が良く、日本人旅行客も多く行く場所。
日本台湾交流協会によると、
2021年の世論調査だけではなく、歴年でも、日本は台湾から最も好きな国の一位として選ばれている。

韓国・中国の歴史や政治問題に興味がある私からすると、
そんな台湾は「??どうして??なんでそうなるの??」というような謎解きが必要な対象。
東アジアの和解や平和を語る際に、
被害者であれ、加害者であれ、双方の努力が必要になると私は思っている。
「日本だけが●●しなければいけない」というのは私は違う気がしている一方で、
台湾のようにここまで対日感情がとても良いと、思わず疑いたく(笑)なるし、
なぜここまで良いのか、というのが知りたくなる。

という経緯から。
現地で楽しむことも、もちろん忘れなかったけれども!
今回の台湾訪問は日帝時代につなげた訪問にした。
慰安婦についてのAMA Museumが元々一番行きたかった場所で、
その他は今回行くと決めてから、改めて調べたり、人についてはご縁を繋いでいただいたり。


日程は1月27日の朝に出発し、29日の夜帰国で、こんな感じ。

1月27日(土)
13:00 Hotel Sunroute Taipei集合
13:00-14:30 ランチ
14:30-17:00 AMA Museum(慰安婦博物館)
19:00 夕飯(個人的な友人&東アジアPJにも登壇してもらったBeya!)

1月28日(日)
9:30-10:00 二二八記念公園散策
10:00-11:30 台湾国立博物館
11:30-13:00 ランチ
13:30-14:30 二二八記念館
15:00-16:30 王念慈さんとお茶

1月29日(月)※ 1/29は私のみ
10:45-11:30 台湾総督府
14:00-15:30 権田猛資さんとお茶


少々長くなるけれど、ブログに残しておきたい。
一部は団体HPにも記載する。

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人を通して見る、私たちの未来:80年に伝えたい事

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まず何を書こうかな、と思った時に、一番書きたい事を言葉として残したいなと。
それは今回の台湾での、人との出会い。
その中でそれぞれの方が共有してくれた想いや言葉。

今回、一緒にAMA Museumに来てくれたメンバーやグロービスの同僚、
ご縁を繋いでいただいた王さんや、昔から知っている友人であるBeyaやKate、
そして人づてに聞いて会いたいと思ってお時間を作っていただいた権田さんと、
3日という短い時間でありながらも本当に出会いに恵まれ、幸せな時間を過ごさせて頂いた。

特にお会いした方々には、今回WUJが来年80年談話を市民社会から作りたい、ということも共有させて頂き、皆さんの想いについても聞いてきた。

▽二日間一緒のWUJメンバーひーちゃん&グロービス同僚Tingとのお昼ご飯
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▽お昼には参加できなかったグロービス同僚Chris
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特に台湾からのTingとChrisは普段は東京勤務で、
本当に台北で合流してくれたことが嬉しかったし、
とても良いメンバーでAMA Museumへ訪れることが出来た。
2人には参加しての感想を聞いたので、それは後ほど。

同じ日の夜には、学部二年生の時に参加したシンガポールでのWorld Model United Nationsで出会ったBeyaとSpeと台北で再会。
Beyaは大学院時代、北京大学でも時期が一緒で、数年前、オンラインでWUJのイベントにも登壇してもらった。


▽夕飯後、ナイトマーケットへ!
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日曜日にお時間を作って下さった、
王念慈さんは、
戦後補償ネットワークの有光さんにご紹介いただいた。

▽王さんと素敵な午後の時間
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王さんは台湾慰安婦のドキュメンタリー、「50年の沈黙」の製作者。
広告業界からキャリアをスタートされ、その後映画に携わりたいと会社を辞めUCLAへ、そしてご自身で団体を立ち上げ、女性と子供に寄り添う活動を継続されている。

▽「50年の沈黙」概要

王さんには台北で有名なパンケーキ屋さんで、おいしいパンケーキを食べながら一時間半、
お時間を取っていただいた。
色々お話しした中で、2025年、戦後80年の節目に伝えたい事では、こうおっしゃっていた。

"Don't start the war. Don't spread the hatred. Spread love"
(「戦争をはじめないで。憎しみではなく、愛を広げよう」)

この発言は、私にとって、とてもデジャブ。
王さんの言葉に触れて、2015年の山東省での慰安婦の娘さんの、
「母親が子供に愛情を渡すように、平和を受けついでほしい」
という言葉が、耳にこだました。

王さんが伝えてくれたこと、その他も少し記載。
  • (ドキュメンタリーを作ってよかったことは?に対して)やってよかった、というか誇りなのは、アマ(慰安婦の女性の事)が変わっていったこと。(隠れていた彼女たちが)堂々としていったこと。
  • 日本政府からの公式な謝罪がアマには必要だった。薬物エイズ事件の川田龍平氏含む被害者に当時の厚生労働大臣菅さんが謝罪した事例をあげる。
  • 責めるべきは戦争。戦争さえなければ、日本兵もあんなことはしなかったのではないか。
公式な謝罪の在り方、受け止め方については、私も考え続けている。
公式な謝罪や、受け入れられる謝罪とは、何だろう。
過去の談話や、アジア女性基金の首相からの手紙、それは、公式な謝罪ではないのだろうか。
それが公式でないのであれば、いったい相手が求める公式な謝罪とは、何なのか。
私の世代はそれをしっかりと考え、それぞれが意見を持ち、感情を添えた上で、対話をしていく世代なのではないかと思う。

そして王さんの、「戦争さえなければ、日本兵もあんなことはしなかった」というのは、
寛容な言葉だと感じた。あまり、韓国や中国で、私は聞かなかった言葉だ。

最終日には、私だけ残っていたので、
台湾の日本語世代の方へのインタビューを動画に残して発信している、
YouTubeのゴンタケ台湾Channelでおなじみ、権田猛資さんにお時間を頂いた。

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こちらも有光さんからチャネルについてお伺いし、
お会いしてみたかったので唐突にFacebookでメッセージをしてみたところ、
お会いしていただけることに。
「あんた誰?!」とスルーせず、サンリオとコラボレーションしたカフェにて、
現在のご活動や、80年の節目に思うことをお伺いした。

80年談話は政府からの公式な首相談話が望ましい。
台湾の日本語世代への感謝(「ご苦労様」)が入っていてほしい。
若い世代へは、台湾に日本語世代がいたことを知ってほしい。

多くの日帝時代を生きた方々のお話を自分の耳で聞かれ、
伝え続ける活動をされている権田さんだからこその、寄り添った優しい視点だと感じた。

権田さんご自身は台湾にも深い関係がある拓殖大学を卒業され、
その後台湾への語学留学で台湾語・中国語を取得、現在は高尾でなんとラーメン屋をされている。
休日にゴンタケ台湾Channelで発信されているヒアリング等の活動を続け、記録していないものを含めると200ほどのお話を聞かれ、そのうちビデオに残しているのは約20本でChannelから視聴が可能だ。

▽ゴンタケ台湾Channel


その他、権田さんと話したこと、記載。

  • (話を聞くときに気を付けていることは)何でも聞くようにしている。トピックを絞らない。歌を歌ってもらうことはよくある。桃太郎さんは結構みなさん歌える。
  • 訪問は一回で終わらせない。何回かできるようにしている。
  • 話すのをはじめはためらう人はいるが、嫌な思いはしたことはない。お話を聞く際は、家族にもご理解いただけるようにしている。
  • 台湾との関係という観点で言えば、安倍さんと菅さんはしっかりと関係を作られていた。
  • 台湾の人たちに伝えていく、ということを今後もっとしっかりしていきたい。ビデオにサブタイトルをつけるとか。
  • 台湾の日本語世代はまだまだ元気。LINEも使ってらっしゃる。
  • MIT(Made in Taiwan)を誇りに台湾の方々は思っている。
権田さんが、今を生きている一人の人として、台湾の日本語世代の方々と向き合っていることが本当によく伝わってきた。
地理的な要因もあるが、私がそれぞれの慰安婦の方と韓国・中国でお会いしたのは一回で、
使命感や想いは確かにあるけれど、それは言わば、自分の好奇心と、ある意味研究や、旅行の一環としてのものであったと思う。
権田さんはそれを飛び越えて、1回だけで終わらせず、権田さんとして相手に記憶をしてもらっている。権田さんの中に日本語世代がいるのと同様に、お会いした一人一人の中に、権田さんがいるその関係性が、私にはとてもうらやましいし、尊敬した。

そしてMade in Taiwanの話は、私もこの旅で是非書いておきたいと思ったので写真と共にのせておく。

▽国立台湾博物館でのMade in Taiwanの展示20240128_102617

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表面的に見ると「負の歴史」の側面ばかり想像してしまう、これまでの台湾の他国からの干渉や侵略を、Made in Taiwanの展示では、今日の台湾の在り方と共に、こう表現している。

"Today, Taiwan still maintains traditional Chinese rhythms within an uraban life that is shaped by Western civilization. The belief tradition of Chinese culture embraces the natural worship of the Austronesian people, the blend of Chinese and Western Cultures is mixed with delicate and beautiful Japanese aesthetic sensibility; the diligence and implicity of the Southeast Asians are also absorbed into the rapidly changing modern scene.
These are not imported products, but genuine ones that are "Made in Taiwan"."

「今日でも台湾は、西洋文明によって形成された都市生活の中で、伝統的な中国のリズムを維持している。中国文化の伝統的な信仰心は、オーストロネシアの人々の自然崇拝と融合し、中国文化と西洋文化の融合は、繊細で美しい日本の美的感覚と混ざり合い、東南アジア人の勤勉さと含蓄は、急速に変化する現代のシーンにも吸収されている。
これらは輸入品ではなく、Made in Taiwanの本物そのものである」

私はこれを読んで、少しのせつなさと、台湾の大きなあたたかさにつつまれたような気がして、少し泣きたくなってしまった。
歴史に向き合う、その中で自分たちの理想とする社会を作っていく(現在も、きっとそう)、ということを愚直に、真剣に、それでも楽しく、やってきている社会なのだと思う。


最後に、ひと、という側面で、写真は撮り忘れてしまったが、
2006年に渡米した際に、一番最初に通ったワシントンDCの語学学校で仲良くしていた、
Kateにも再会した。
Kateは数年前にも日本に来てあったが、これだけの月日が流れても、お互い連絡先がわかり、
会える関係である事が、不思議で、嬉しい。
私が東アジアに心を寄せる理由の一つの出会いだったので、なんだか初心に帰った気分。

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AMA Museum

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さて、次に今回の渡航の一番の目的であった。AMA Museumについて書く。
以前から行きたいと思っていた場所であり、
今回は団体予約で英語のツアーを予約し、WUJメンバーと、グロービスでの台湾人同僚2名、
計4名で訪問した。
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AMA Museumは2016年に設立され、経済的な理由から一度場所を移す形になり、
2022年に現在の場所で再開した。

▽最初なかなか見つけらず、ビルの中に!
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Taipei Women’s Rescue Foundation (TWRF) が運営をしており、様々な支援活動を基金としても展開している中の一つが、この博物館である。

慰安婦、という文脈で言えば、台湾の慰安婦当事者の最後の1名は、昨年の5月に亡くなった。
何の因果か、5月22日、私の誕生日だ。


台湾の慰安婦についての知識は、私は一般知識程度にしかなかったため、
今回の訪問で歴史や、それにかかわってきた人々、アマの方々について知ることができたらと思った。

その中で
聞いた事、見たこと、学んだことを以下に所感と一緒にざっとまとめてみた。

  • 英語のツアーを担当してくれたのは昨年10月頃から入られたという男性職員の方。哲学を学んでいたそう。
  • 博物館は来場者については、数と性別のみを把握。日本人も良く来る。
  • 博物館の展示は日英ところどころに対応。
  • 基金自体は約30名程の体制。博物館は職員が3名。
  • 博物館の横連携はあまりしていない。
  • 台湾の慰安婦の方が戦後、結婚をされたかどうか、の数を把握。43名が婚姻状態、13名が無婚。
  • 慰安婦の方がどのような背景だったかについての展示では、多くのアマが、貧しく兄弟がたくさんいる家庭の出だったと記載している。
  • 博物館の後半の展示は、家族の多様性についての展示。参加者に問いかける形式やボードに触る展示もあり、参画型である。
  • 和解文脈の展示はあまりないと感じた(例:談話等)。2000年の女性国際戦犯法廷以降の展示があまりない。
  • 当事者の方々は当初多く偽名をつかっていらっしゃった。最後の一名は昨年5月に他界。
  • 展示は当事者の方々が、基金のワークショップとして行った活動で作成した作品(絵や歌)を展示。
  • ワークショップの一環として、その時代のよかったこと、をアマの方に聞くことがあった。

印象的だったのは、展示がアートの要素を伴いながら、メッセージ性を考えてそこにあったこと。

▽展示の奥からわら?お米?が見えたり・・・
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▽アマの顔が鉄網の中にあったり
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▽ワークショップでアマが描いた絵
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▽家族の多様性に関しては参画型展示(問いを投げている)
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▽多様性展示の中の、自分の今の家族と、理想の家族を可視化するボード
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▽基金が行うワークショップについて記載された本(購入できず)
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▽手をかざすと光でアマの名前が手のひらに
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その他、記録として展示の写真を掲載しておく。

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ツアーをしてくれた職員の方は、流暢な英語で、私たちのどんな質問にも時間を割いて答えて下さった。途中、他のお客さんが数組来館し、外国人の方々もいた。

一緒にツアーに参加してくれた台湾人のグロービスの同僚には、
感想を聞くという目的で問いを投げかけ、後日答えてもらった。
原文と訳を、参加者の声として、二人の答えと共に掲載したい。

参加者の声:TIngとChris

  • Any comments/thoughts overall/全体的なコメント/感想
  • What is the most memorable or significant exihibit or remark during the visit?/今回の訪問で最も印象に残った、または印象的だった展示物や発言は何ですか?

<Ting>
For the first time, I deeply learned about the history of comfort women in Taiwan. I had only heard a bit about this in high school. The museum tour made me think a lot. One exhibit was very impactful: it let visitors hold a comfort woman's name under lighting. The guide said this represents us helping to ease her pain, which was a very strong message.
初めて台湾の慰安婦の歴史を深く知った。高校時代に少し聞いたことがあるだけだった。博物館の見学は私に多くのことを考えさせた。ある展示はとてもインパクトがあった。照明の下で慰安婦の名前を照らすことができるのだ。ガイドが、これは私たちが慰安婦の痛みを和らげる手助けをしていることを表していると言った。

<Chris>
This is the first time for me visiting museum about comfort woman. Although I have learnt something from history lessons during school, this topic was never been deeply discussed all time. In the tour, there are two impressive things. The first one is about how they present. Instead of showing all historical document, there are a lot of interviews, which makes the stories from those Amah so vivid, but not only those “historical facts”. The second one is how those Amah passed these trauma, and the hopes within their life. Which makes me to reflect how we should treat our life.
慰安婦に関する博物館を訪れたのは今回が初めてだ。学生時代に歴史の授業で習ったことはあるが、このテーマがずっと深く議論されたことはなかった。見学の中で印象に残ったことが2つある。ひとつは、展示の仕方だ。すべての史料を見せるのではなく、多くのインタビューがあり、アマの物語を生き生きとしたものにしている。もうひとつは、アマがどのようにトラウマを乗り越えたか、そして彼らの人生における希望である。それは、私たちが自分の人生をどのように扱うべきかを考えさせてくれる。




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  • In 2025, we will remark the 80th year of the end of the WW Ⅱ. What kind of keyword is coming up to you?(If you want to explain, please, but without explanation is totalky fine too.)/2025年、第二次世界大戦終結80周年を迎える。どのようなキーワードが思い浮かびますか?(説明したい場合は説明してください。説明なしでも全然構いません。)

<Ting>
As for the second question, the keyword I think of is "forgetfulness". It's worrying how we can forget so much, like all the wars that have happened recently. This shows why it's so important to keep talking about the horrors of war. The visit to the Ama museum was a good chance for this kind of discussion. As we go forward, we must remember the past, learn from it, and try to stop bad history from happening again."
二つ目の質問については、私が考えるキーワードは「忘却」だ。最近起こったすべての戦争のように、私たちはどうしてこんなにも多くのことを忘れてしまうのだろうと心配になる。このことは、戦争の悲惨さについて語り続けることがなぜとても重要なのかを示している。博物館への訪問は、このような議論をする良い機会だった。これから先、私たちは過去を忘れず、そこから学び、悪い歴史が再び起こらないように努めなければならない。


<Chris>
For the second topic, since the conflicts between human never stops, and there are a some major reginal wars happening. My keywords would be the “mirror”. There was a Prime Minister at Chinese Tang Dynasty, when he was dying by disease, he told the emperor who comes to visit him saying: “By use history as mirror, one may know the rise and fall of empires”
That is, we should never forget the history, should always reflect with the history to consider what should we do.
2つ目のトピックは、人間同士の争いが絶えることがなく、いくつかの大規模な領土戦争が起こっていることに由来する。私のキーワードは「鏡」だ。中国の唐の時代の宰相が病気で死にかけたとき、見舞いに来た皇帝にこう言ったという: 「歴史を鏡にすれば、帝国の興亡を知ることができる」。つまり、私たちは決して歴史を忘れてはならないし、常に歴史を振り返って、私たちが何をなすべきかを考えるべきなのだ。


常に活動をしているメンバーだけではなく、二人が参加をしてくれて、本当に私は嬉しかった。
グロービスは私にとって、教育だけではなく、ビジネスを学び、体現していく場所。
ビジネス、非営利、アカデミアを平和構築の文脈で繋げられる通訳者のような存在になりたいと思う私にとって、ビジネスの世界で時間を一緒にする二人が参画してくれたことは、こういった活動に限界はないということを改めて教えてくれたし、自分とは異なるものに投げかけていく、飛び込んでいく大切さを改めて教えてくれた。

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終わりに:未来につなげるたいこと
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参画した2人に感想を聞いたのだから、最後に、私もAMA Museumを訪問して思ったことと合わせて、
今回の旅全体を振り返ろうと思う。

台湾に行って良かった、というのはもちろんだけれど、
3日間では到底足りなかったし、台北以外にも足を運びたいと思った。
慰安婦当事者の方々はもういなくなってしまったので、権田さんがお会いし、発信されているような、
日本語世代の方々とも、話してみたい。
日本が戦後、背を向けてから、どんな思いで、どんな人生を、それぞれの方は歩んだんだろう。

想いを馳せずにいられない。
今まで日本語を話し、あなたは日本人です、と言われてきたのに、
「はい、明日から日本語は禁止、あなたは日本人ではありません」
と突き放された時の衝撃って、どれほどのものだったのか。

「この人たちは日本人だったんだ」と特に感じたのが、
二二八記念館での展示にあった、日本語の遺書。

これは、今の、日本人が書いたものではない。
1945年以降、二二八事件の犠牲者となった私達が「台湾人」と認識する人が書いたものだ。
1945年以降、しばらくは日本語との両言語の表記がメディアでは続いていたが、
それが唐突に終わった時、日本語しかできず、文字が読めなくなる人がたくさんいた。

この人が両言語できたのかはわからないけれども、
遺書が日本語だったということに気が付いたとき、私は思わず、その文字をじっと見てしまった。
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「日本語を話す方が多い!」という単純な嬉しさの背景には、
皆さんの苦労とか、想いが、たくさんあったんだろうなと思ったから。

私がこの旅の後、一番考えたいと思っているのは、謝罪というものの、記憶と、あり方。

それは台湾だけにとどまらないものだ。
けれども、これだけ親日の台湾の方々が求める公式な謝罪とは、なんだろう。
今あるものが、届いてほしい人たちに、届かないのは、なぜなのか。
そして日本語世代へ時代を作ってくれたことへの感謝を表せるとしたら、それはどんな言葉で、誰が発するべきなんだろう。

AMA Museumは展示の仕方も、職員の方々の在り方も、その後の基金が実施しているワークショップも、とても良かった。
でも私が感じた違和感は、国や人レベルで、和解についてのどのような取り組みがなされたのか、
詳しい展示がなかったことだ。
その評価は様々だが、慰安婦問題を話すのであれば、河野、村山、安倍談話は、原文と翻訳に触れてほしい。
それをどのように歴史の中で捉えるのか、その談話の何が問題で、何が良かったのか、そしてそこから80年に向けて何を私たちはしていくべきなのか。みんなで一緒に考えたいし、そこから対話をしていきたい。
「謝罪がなされなかった」だけで終わらせるのは、あまりにも残念だし、もったいない。
なぜそう相手が思っているのか、日本人はそれを知るべきだし、台湾や韓国、中国の方々は、私達がそこから何ができるのか、を伝えてほしい。

ダボス会議で出会った、
「我々はいかにして良い先祖になれるか」という言葉を今一度思い出す。

今を生きる私たちは、良いより未来に向けて、何ができるのか。

2024年も、平和に向けて考え、好奇心赴くままに行動する、一年にしよう