やっと暖かくなった3/30の土曜日。

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楽しみにしていた今年度最終回となる東アジア平和大使プロジェクトを、
都内にて開催。
今回は場所の人数制約の件もあり、ゲストをご紹介ただいた方、WUJメンバー、これまで関連してくれた方々、来年お世話になる団体関連の方にご参加いただいた。

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開催&当日構成
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当日は運営も含め、10名の方にご参加いただいた。

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テーマは、戦後80年へ向けて -対話と明日へ向けての約束-。
2025年へ向け約1年となる中で、戦後80年へ向けて互いが思っていること、感じていることの共有を通じて、個人や団体での連帯を深める、という目的の下開催。

何より、戦後補償ネットワークの有光健さんにずっとお話をして頂きたいと思っていて、
History for peaceの福島さんにご紹介頂いた縁から実現した回。
丁度大学時代からの友人が都内のビルの中で料理を作りながらのスペース貸しをしているので(笑)、
東アジアの料理をリクエスト。
なんと結果11時30分~14時半まで5号炊いたご飯×2、
おかず5品を参加者で食べながら、
とてもおいしい心も胃もあったまる回となりました。

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構成は以下で実施。
  • ランチ&はじめに&自己紹介(アイスブレーク)
  • 休憩(フリータイム)
  • 戦後80年へ向けて
  1. ゲストトーク(15分):有光さん
  2. 対話(50分):戦後80年へ向けて私達ができること
  • 終わりに&お知らせ
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ゲストトーク
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とてもおいしいご飯を食べながら、有光さんには「戦後80年に向けて残された課題(戦争被害、戦後補償、戦後処理)」のお話をまずはして頂いた。

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要点としては以下。
  • 残された課題は主に11。
  1. シベリア抑留
  2. 外国籍(韓国・朝鮮・台湾)元BC級戦犯への特別給付
  3. 民間空襲被害者への措置
  4. 原爆被爆者への措置
  5. 中国残留邦人
  6. フィリピン残留邦人
  7. 沖縄・南洋戦被害、石垣島マラリア、硫黄島強制疎開、戦争トラウマ・PTSD調査
  8. 遺骨収集
  9. 国立戦争・平和資料館設置、記録の保存
  10. 国立追悼施設建設と外国人戦争被害者の慰霊(アジアへの責任の表し方9/2)
  11. 戦時・植民地期略奪文化財等の返還
  • これまで、主に民間人の犠牲と外国籍という所が抜けている。
  • 課題に対して必要とされることは様々にあるが、司令塔は必要。そして次世代への歴史、記憶の継承。
  • 司令塔の話でいえば、行政の縦割りが大きな理念・戦略の欠如に繋がっている。
  • 8月15日は日本の追悼の日である。では、対アジアは?現状していない。
  • 世界的に文化財は元の国に返す潮流が出来ているように見えるが、日本はこのような動き(例:小倉コレクション)に鈍感であるように思う。
  • 戦争は絶対だめ、というが、ではそれに向けてこれからどうしたらいいのか、を考える必要がある。
戦後の課題や補償について、見えている広さと、戦後補償関連の実体験に基づいた活動の話を、
ここまで整理してお話しできる方を私は他には知らない。
例えば手前味噌で恐縮だが、私を例にしても、東アジアの色がすごく、濃い。
その一方で有光さんは、国籍関係なく国内の民間人の被害者から、韓国や中国だけではなく、フィリピンの慰安婦の被害まで、見えていらっしゃる。

そしてそこから現代に展開されている、記憶の継承の在り方としての施設や博物館への問題意識。
各省がそれぞれ違う管轄をしており、司令塔が不在のまま、どのような戦後処理や補償をしていくのかという大きな理念・戦略が欠如し、その場しのぎになっている現状への、指摘。

有光さんのお話を聞けば聞くほど、自分の役割を考える。

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対話
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有光さんのゲストトーク後、元から設定していた問いはあったものの、
自由に有光さんの話を膨らませるという方向性で対話を行った。

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まず私の方から問いを投げかけさせて頂き、それを含めた対話の要点の記録を書き留める。
  • (問い)80年に向けて、戦後課題や戦後処理で現実的にここまではいけそう、というところと、理想ではここまでいきたい、という感覚を教えて頂きたい。
  • (有光さん回答)大きいことは難しい。日本の司令塔不在の問題もある。一方で、東京にある3つの戦争関連の施設を統合する、ということは節税対策にもなり、そこは維新や公明党はできるのではないだろうか。また、官僚にまかせるのではなく、国内でボランティアでそういったことが出来ると良い。ドイツにある記憶・責任・未来財団(Foundation Remembrance, Responsibility and Future )はいい例だろう。
  • (参加者より問い)若い世代は何ができるか。
  • (有光さん回答)映像の観点で言えば、問題は民放。信濃放送や、横浜の放送ライブラリには幾つか今日の話題関連のリソースがある。1982年に11PMという番組が日本で一番最初に慰安婦問題を取り上げたが、その映像も見れるはず。
  • (参加者より問い)若者から見た戦後というところでは、若者は何のために戦争を記憶する必要があるのか。どういう風に自分事化していけるか。戦争を起こさない、国際関係を良くしたい、というのは当たり前だが、それをどう自分のことに落とせるのだろう。
  • (有光さん回答)本当は、戦後処理、戦後補償という言葉は使いたくない。私は"re-dress"をつかっていきたい。ボタンを掛け違えたところをやりなおす。痛みを和らげる。責任にも、時代にもたくさんレイヤーがある。
  • (参加者)それについて重ねたい。今、戦後約80年経って、民間人が補償されていない現状がある。これはつまり、この先日本がどこかに攻撃され、有事になり、あなたの足が吹き飛ばされでも、補償がないかもしれないということ。そういう国に住みたいか。そういう国に今いる感覚があるか?
  • (参加者)民間と政治判断は、どこまでの境目で、どういう風に政治を動かせばいいのだろうか。
  • (有光さん)戦後補償の問題は、個人的に当事者や家族が悩むことではなく、本来は国としてできていなければいけないこと。
今回の話を聞きながら、私は参加者の一人が付け足してくれた、
足が吹っ飛ばされても補償をしてくれない、そういう国に住みたいか、そういう国に住んでいる認識はあるか、という問いがとても悲しかった。

理由は単純で、そういう国に住みたくないし、でもそういう国に住んでいることも事実。
私の歴史観は「自虐史観」かもしれない。実際そのように指摘いただくこともある。
韓国・中国に留学をしていた事実や、友人が多いことは私の考え方に大きく影響していると思う。

けれど、留学をしていた時期に私が目を向けてこなかったことはどうだろう。
例えば、東京大空襲の民間人への救済。
これがいまだない事実は、重い。
そしてこれは、決して自虐史観でもなんでもなく、戦争に巻き込まれた市民が、戦後どうなったのか、どうあるべきなのか、平和な今だからこそ冷静に考え、仕組みをつくる時なのではないかと思う。



今回、有光さんや参加者の話を聞きながら、私は聞きたい事がありすぎて、
全く時間が足りず。
そんな中、Wake Up Japan&プロジェクトとして大切にしたい、戦後80年談話への発行について、
ご意見を有光さんに伺うことが出来、私の中で何をすべきか、明確になったことが一番よかった。

解散後は運営メンバーとは運営の話を30分ほどして、2024年度への想いが膨らむ。
同時にたくさんの感謝も。
一人でこの道を作っているのではなく、仲間とつくっていることが、とても嬉しい。

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参考リソース
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今回、ゲストの有光から事後共有があったリソースを以下に掲載する。

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2023年度の御礼&次回
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30日で、2023年度の活動は終了となった。

簡単にせっかくなので2023年度を振り返る。
2023年は、国内外の発信を強化できた一年であった。

定量的には、参画者104名、場の創出数10。
国際化の強化では、UNOYのケニアで行われたYoung Peacebuilders Forum、企画責任者長川個人として韓国ソウルでのAsian Leadership Conferenceへの参加、Strait Talk関係者を招いて英語における回の実施(今後のアルムナイと連携したStrait Talk東京開催を視野に入れる)、台湾渡航の実施。台湾渡航においてはAMA Museumが訪問の様子をインスタグラムに掲載頂いた。
国内連携では、助成を受け取っている李煕健韓日交流財団差主催の早稲田大学でのイベント内で12月回をTLAとMOONと共同実施。手法を工夫しての発信強化として、インスタグラムではイベントの広報や報告だけではなく、テーマ別投稿を開始。また、メンバーの強みを活かしグラフィックレコーディングを12月回で実施できた。

これにより、4年間を通じての参画者は366名、場の創出数39となった。
2024年は戦後80年の2025年へ向けて、声を集める年としたい。

改めて、多くの関係者とメンバーへ御礼を込めて、7月まで運営ミーティングを継続しながら、
準備を進めていきたい。